悪意の手記
著者 中村文則
新たな知識を求めてこの本と出逢う。
世の中には、幸せな人生を送っている人もいれば、不幸な人生を送っている人もいる。
何を持って幸せと言うかは、人それぞれだが、幸せに感じることができる日々を送っている人もいれば、幸せに感じることができない日々を送っている人たちもこの世にはいる。
そしてこの小説である、悪意の手記は、読んでいてとても悲しくなってくるし、世の中にはこのように苦しんでる人たちがいると言うことを教えてくれる小説ではなかろうかと思う。
特に悲しく恐ろしく感じたのは、虚無である。
1つ目は、病気が治癒した後に私が感じた、あの虚無は何であったのかということ。
2つ目がKを殺した後に、なぜあの虚無は終わったのかと言うこと。
主人公と思われる滝川雄一郎はTTPという醜い病気になったことからの始まりであった。
神を信じて救われるのであろうか、その人間を作ったの神ではないだろうか、神が人間を作ったのであればより完璧な人間を作るべきであったと思うのは子供心かもしれない。
確かに言われてみればその通りかもしれない。
しかし神を信じると言う事は奇跡を願うと言うことではなく進行することにより心の逃げ所を作ると言う事かもしれない。
そのため人間は神様と言う信仰持ったり、宗教思ったり、心の拠り所を作っている。
それをどのように捉えるかはその人次第であり他人には突っ込むことができない世界である。
親友を殺してそしてその殺したことにより苦しんでいく主人公。
生きるという事は何なのか、そしてなぜ人を殺してはいけないのか、などいろいろな疑問よ課題を与えてくれる小説である。
そして捨てる神あれば拾う神あり、などなど考えさせることができる小説でもある。
人は生きていく上で、1人では生きていけない、数々の状況の中助けてくれる人たち。
大学生時代の親友そして、自分を支えてくれて考え方を変えさせて貰った女性など最悪の自分に光を与えてくれた。
それが幸な、不幸かはその人がどう捉えるかによるが、生きると言うことそして人を殺すということを、再度考えさせられるのではないか?
そして大学を中退して喫茶店で働くことになった時に出会った女店主。
彼女との出会いにより、自分のため込んだ言葉を吐き出すことにより、自分自身も楽になってきた。
そのことにより主人公の考え方にも変化が訪れてくる。
ラストはいろいろなことを連想させてくれると思うけど、どのような思いを受け止めるかは読者の自由である。
現代の社会と言う考えさせる小説である。
今生きていることに感謝をして、明日を迎えようではないか。
あなたにはどんな1行が届き、どんな言葉が残りましたか?
私は人を殺した。そのことが私の人生にこれほどのものをもたらすとは知らずに……。死と悪をテーマに、現代の青年の心理を克明に描ききった衝撃の問題作。
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